MIL-STD-499(システム・エンジニアリング・マネージメント)の復活
2007.5.1
今から40年以上も前に世界で始めてシステム・エンジニアリングの考え方を標準(規格)化したMIL-STD-499はそのA版をもって廃止された。日本においても全ての物づくりの原典となったといわれるこのMIL-STD-499は最近になってDODがC版を草案(ドラフト)したという。何故MIL-STD-499のA版が廃止され、またB版やC版がどのような経緯で現在に至ったのか改めてその歴史を追ってみた。そこには時代と共に変革するDODの戦略が息づいているのである。
MIL-STD-499 (Systems Engineering Management)の歴史
2004年2月の米国防総省(DOD)取得・技術・後方支援担当副長官補(AT&L)による省令(Policy Memo)は、DODの取得調達計画におけるシステム・エンジニアリング(SE)の重要性を唱え「過去の教訓を生かした」SEの考え方を改めて導入することを示唆した。このことはDODが過去からの正の遺産(Legacy)、すなわちMILスペックで培った経験や教訓を再び蘇らせることを世に知らせるものとなった。そのなかのひとつにMIL-STD-499の復活があったのである。
DODにおけるシステムエンジニアリングの発足
システム・エンジニアリング(SE:正確にはシステムズ・エンジニアリング)の考え方は当初1940年台にベル研究所がはじめて世に送り出したといわれている。そしてその後DODはSEの概念を独自の方法で具体的に実践し、ミサイル防衛システムの開発に初めて登用した。このDODにおけるSE概念は第二次世界大戦において大きな成果を納めることとなった。その後SEは益々大規模で複雑なシステムの開発や取得のために運用され、DODは初のSE規格を1969年に発行した。それがMIL-STD-499である。1969年米空軍は初めて基本となるMIL規格MIL-STD-499(SystemsEngineering Management)を空軍向けに制定した。その後この規格はDOD全体で運用されることになり、その後改訂されてA版が1974年に発行されることになった。
DODの取得改革によりMIL-STD-499は廃止された
1990年台になるとできるかぎり民間規格やPRFスペックの適用を優先するようになり、そして1994年、当時のペリー国防長官による「特別に認可を受けた以外は取得計画においてはMILスペックを引用
してはならない」とする通達が発布された。実は当時1992年にMIL-STD-499はB版が発行される予定であったが、このペリー国防長官の通達により発行が見送りとなってしまった。そのうえ3年後の1995年には当時運用されていたA版も代替無しの廃止処分となってしまったわけである。
1994年当時には民間規格団体にはSEに関する規格がなかったのでこのMIL-STD-499Bはマイナーチェンジされたのち民間団体に採用されてIEEE-1220とEIA-632という民間初の2つのSE規格として発行されることになった。そしてその後、逆にDODはこれら民間規格を手本としてDOD自身の取得計画向けにSE要覧や手引書を作成することになった。このようにしてDODは次第にSE概念を拡張させながら実践を積み重ねてきた。V9と呼ばれるV型に9つの技術プロセスをパターン化したSEの基本的な手法(マネージメント)はDODにより大きく開花したのである。
ここにきて振り子が反対側に振れ始めた
しかしながら、ここにきて振り子が思わぬ方向に振れ始めたのである。最近の兆候として民間のシステムやソフトウエア・エンジニアリング規格がゆっくりではあるが国際規格(ISO)に統一されるようになってきた。また2001年に勃発した同時多発テロの恐怖はアメリカの防衛概念を大きく変えるものとなった。そしてそこにはDODが過去からのMILスペックの制定や運用から学んだ教訓や経験を改めて生かすRevitarization(活性復興)という号令の元、昔に戻るのではなく、昔を生かした新しい創生に向かうべきであるという新しい概念を生み出したのである。
米空軍はMIL-STD-499Cを草案し、SMSC(Space Missile Systems Center)向けに発行し、2005年3月24日付で改訂C版として運用し始めた。そしてこのC版は前号で特集した国防副長官補による省令(2005年3月29日付)が、全ての取得・調達管理者は柔軟な対応によりMILスペックを契約に引用することが認められ、従来のように特認機関に承認される必要はない、という考え方に基づくものとされている。
注:引用された情報はDefenseAT&LのMarch-April,2006に記載されたものである。